2005年3月、当時地区で唯一操業していた高知県四万十市(当時中村市)の「中村太陽館」が閉館――。これに伴い、県西南部の幡多郡は「映画館ゼロ」地域となった。
それから10年も経たずして、同地域では映画館で映画を観た経験のない子供が増加するなど、街から映画文化が消えようとしていた。
この現実を憂慮し立ち上がったのが、地元の有志たち。「映画館がなくても映画祭は開催できる」を合言葉に、映画を肴に“おきゃく”を愉しむ、かつてないスタイルの映画祭を提唱。地元の人々や観光客、制作者側が一緒になってワイワイと映画を、さらには四万十を満喫できる文字通りの祭りとして、2013年、四万十おきゃく映画祭が産声を上げた。
好評を博した第1回の開催からほどなくして、一層増した地元の熱に支えられる格好で、四万十映画祭として生まれ変わった第2回の目玉企画として持ち上がったのが、四万十を舞台とした映画『あらうんど四万十~カールニカーラン~』の制作である。
※カールニカーラン:土佐弁で「変わる(=カールニ)らしい(=カーラン)」の意味
四万十市出身の松田大佑監督の呼びかけの下、キャスト・スタッフに地元の方々、東京をはじめ大都市圏で活躍する高知県出身者、県ゆかりの著名人が多数集結。作品中には、四万十界隈の名所はもちろん、美しい自然や文化、人々の温もりをふんだんに盛り込むなど、地域発にとことんこだわった、高知県人が作る「高知家の映画」がここに誕生した。
あらすじ
高校時代、所属する陸上部駅伝競技の主要メンバーだった晃、タケシ、ヤス、シュンの仲良し4人組は、常にまわりから一目置かれる存在だった。しかし、卒業後は努力を怠り、パッとしない日々。気が付けば40歳が目前に迫ってきていた。
役者として成功する夢を諦め帰郷した晃を迎え、行きつけの居酒屋で、かつてのように語らう4人。あらためて思い返すと、駅伝以外に何かをやり遂げた経験がない。いつしか人生全般、逃げ癖がついていた。口をついで出た言葉は、俺たち昔は輝いていたな――。 意気消沈するなか、思いついたのが、元マネージャーに誘われていたロードレースへの参加だった。
「いい所見せて、俺たちはまだ終わってないって証明しようや」
かくしてアラフォー4人の、挑戦が始まった。
西村雄正
1977年7月4日生まれ、高知県出身
オーディションへの参加をきっかけに俳優へ、その後山本學氏に出会い本格的に演技を学ぶ。
2013年公開の映画「県庁おもてなし課」では出演はもちろん、土佐弁の方言指導も担当するなど高知に関わる作品には積極的に参加している。
近年は映画「闇金ウシジマくん2」のほかCMへの起用も増えている。今回は久しぶりの山本學氏との共演で士気が上がっている。
主な出演作品
ツーライス 大ちゃん
高知県土佐清水市出身
ビーグル38能勢
本名:能勢浩(のせひろし)
1973年8月9日生 高知県高知市出身
1996年にお笑いトリオ『せんたくばさみ』としてデビュー。コントを中心に活躍。
せんたくばさみ解散後は新たなトリオ『ビーグル38』を結成。フジテレビ系「爆笑レッドカーペット」、TBS系「あらびき団」などで話題になる。
現在はピン芸人として活躍中。
現在のレギュラー番組
その他の出演者
監督・脚本:松田大佑
自身2度目となる、高知県四万十市を舞台にした作品。地元出身監督による、郷土愛あふれる視点で四万十市の美しさを映像化!
1981年四万十市古津賀出身
岡山県の大学在学中に原作の世界を具現化する映画の面白さに惹かれ、監督を志す。2003年、吉本興業の劇団シックネスパックに入団。構成作家 桝本壮志氏に師事。
その後2004年に劇団を退団。同年に高知県四万十市を舞台にした、自主制作映画「道は続くよどこまでも」を監督し、東京で劇場公開される。その他にも高知、大阪、千葉で上映され、1単館では異例の、延べ2000人の動員を集める。
その後は舞台の脚本、演出、映像やミュージックビデオなどを手掛け、現在は映像の制作会社に勤めながら、自主制作で映画を製作している。
又吉直樹(芸人×芥川賞作家)
永田琴(映画監督)
斎藤慶太(俳優)
安田大サーカス団長安田
(芸人)
川﨑麻世(俳優)
指出一正(ソトコト編集長)
中川龍太郎(映画監督)
川田優作(Honda栃木 ライダー)
馬場隆司(RIDEZERO代表)
きただにひろし(歌手)
野地 教弥(Seaberd 代表)
扇谷ちさと
(東京よさこいカンパニー会長)
福井 正文(高知県観光特使)